2025年 09月 13日
長谷部葉子教授のお話を聞いて。
昨日、岡山県議会で岡山理科大学教授長谷部葉子氏のお話を聞いた。氏は東京生まれの東京育ち。この春までは慶應義塾大学環境情報学部に約20年在籍されていたとのこと。
講演では、最初に氏が聞いた岡山の学生たちの岡山のイメージを紹介してくれた。
「何でもあるけれども、何にもない」
哲学的なことはである。この言葉を聞いて、学生たちが言いたいことが何となく伝わって来た。
これまで筆者が聞いて来た言葉は、「全てにおいて中途半端」とか「どれも真ん中ぐらい」である。筆者は岡山で全て揃えることができると思っている。しかし、テッペンになるものが何もないとの話は色々な場面で出て来る。学生たちが言いたかったのは、こういうことではないかと考える。
それから、本題の「探求教育」の話になった。氏のこだわりは、県教育委員会などが勧める「探究教育」ではなくて、学生が主体者となって研究をするという姿勢の部分である。この点について説明もあった。DNAなどの難しいテーマについて詳しい学生によく出会うとのこと。その学生にどうしてそのテーマについて興味を持ったのかと問うと、多くは憧れている先生(人)の影響を受けてと答えるというのだ。根源的な所まで考えずに、スタートしているとの解説もあった。この後にも色々な話が出て来たのだが、ここまででも十分に考えさせられるものであった。
世の中は合理主義が大流行である。分業体制がドンドン取り入れられている。頭の良い人は、うまみのある所だけを取って行く。これは極めて合理的なやり方かもしれないが、全てが社会にミスマッチを起こしている時に「全体の森」を見ることができないでいたなら不幸である。もしも、指導的立場の人が全体を見誤って改善改良ばかりを指示したならば、どんなことが起きるだろうか。
そして、氏は次のような話もした。頭が良い人は増えたが、何かを一貫してやるという経験が著しく無くなったと。それで、氏は農業体験を学生たちに勧めた。それを実践した学生たちはそこから農業の大切さ、食べ物を手に入れるまでの工程を知って、社会、人生について深く考えるようになったという。
岡山県は教育再生に取り組んでいる。その中心は夢育である。県議会で教育委員会の話を聞いていると、「探究」の方に力を入れていると感じる。現在、地方に欠けているのは「探求」の姿勢ではないだろうか。昨日はとても良い勉強の機会になった。長谷部葉子先生と長谷部葉子先生をご紹介して下さった遠藤康洋県議会議長に心より感謝を申し上げる。
太田 正孝
by masataka2014
| 2025-09-13 09:47
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