2015年 06月 27日
古代吉備の国の時代のものにふれて。
RSKバラ園近くの倉敷市庄新町にある王墓の丘史跡公園の中に
弥生時代後期の中で日本最大級の墳丘墓楯築遺跡があります。
古墳時代より前に築造されていたとのことで、
この地に大きな政治勢力があったと推測できます。
この地から直ぐ南の山陽新幹線沿い東西500m、南北1.5㎞に亘って、
弥生時代後期の大集落があったことが、
岡山県古代吉備文化財センターの発掘調査で分かっています。
この遺跡は上東遺跡と名付けられ、
ここから弥生時代の土器や木製品が千点以上出土し、
中には人の顔など四種類もの線刻絵画が描かれた弥生時代後期の絵画文土器も入っています。
古墳時代中期の造山古墳(360メートル)、
更に2㎞西の総社市三須に
同時期の作山古墳(286メートル)の前方後円墳があり、
弥生時代後期から古墳時代に
この一帯が栄えていたことを知ることができます。
この辺りを歩くと、
いかに古く(少なくとも2~3世紀以降)から
この地が発展をしていたのか分かります。
そういうことを余り勉強してこなかった自分を恥ずかしく思います。
地域の子どもたちが自分たちの地域の歴史の長さを知ったならば、
子どもたちの価値観も変わるのではないかと思います。
身近にあるようでそう感じられない現状について
少しでも見直しを進めたいと思います。
このことについて6月30日の岡山県議会一般質問でふれたいと思います。
太田 正孝
by masataka2014
| 2015-06-27 11:12
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