ニコニコまさたか(岡山県議会議員 太田正孝のブログ)

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忘れられる権利。

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携帯電話の使用に関する研修会に二日連続で参加したら、
携帯電話による子どもたちのトラブルは増え続けているという報告を受けた。

子どもたちが持つ携帯電話は「ガラケー」から「スマホ」に替わってきている。
スマホ化が進むなかで、携帯電話の使用が小さい子どもまで広がっている。
極端な場合は赤ちゃんまで使っているというのだ。
ボタンを押す動作がなく、タッチだけで動作するスマホは赤ちゃんの使用まで可能になっていることについて
信じられないが事実なのだ。

そして「ライン」などのアプリの登場は子どもたちの利用の仕方を劇的に変えた。
メールは文章を書くものだった。
しかし、ラインは思った言葉を打ち込むことによって意思疎通を可能にした。
ここに落とし穴がある。
一見、同じ場所にいなくても会話を出来ているように思えるが、
顔は見ることが出来ないのだ。
顔を見ながら会話をしているのと、見ずにしているのでは根本的に違う所がある。
顔から伝わるニュアンスである。誤解を与えていたら、その場で訂正できる。
それがスマホの場合はニュアンスを見逃すことがある。
行間にある思いが勘違いされるのである。

あるスマホ(ライン)での会話である。

B君:「映画に行こう」

C君:「僕は自転車で行く」

D君:「電車で行く」

A君:「僕も行く」

E君:「なんでくるの」

このあと、トラブルに発展したそうだ。
E君の言葉がA君に誤解を与えたのだ。
A君は来るなと思ったのだ。
E君は「手段」を訊いたのだ。
このとき、E君は「?」を書き忘れたのだ。
E君が「なんでくるの?」と書けば、トラブルは発生しなかったのだ。
問題は「ちょっと」したことから起こっている。
しかし、こうした些細なことから大事件があちこちで起きている。
こうしたことで問題が起こることを子どもたちに教えて行かなければならない。

そして、今過去の事件で苦しんでいる人が増えている。
自分が犯した過ちが10年経っても20年経っても消えないのである。
海外では大きな問題になっている。
今日もテレビのニュースで流れていたけれども、
日本でも検索エンジンの掲載基準を見直していこうとする動きがやっと出始めた。
「忘れられる権利」と言われているが、
時間が経過して社会的に見て問題視することではなくなったことは
本人の希望で消すことができるようにするべきだ。

現代の新しい技術が人を苦しめているケースもある。
どうすれば社会的責任をとった人がが苦しみから解放されるのかルール作りが必要だ。

              太田 正孝

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by masataka2014 | 2014-11-07 08:18 | 正孝の活動 | Comments(0)